テーマ:「潜在的なもの」(the virtual)
発表者:
森田敦郎(大阪大学)
「民族誌機械: 人類学とSTSのパフォーマティヴィティをめぐる実験」
春日直樹(一橋大学)
「人間の(非)構築とヴィジョン」
コメンテータ
宮崎広和(コーネル大学)
あとづけの産物としての可能性(possibility)ではなく、予測不能で不可知なままに現態化を待つ潜在性(virtuality)は、現代人類学において重要なテーマになりつつある。
その背景をなすのは、同一性の概念に対する疑義であり存在の多様性(multiplicity)への注目である。
今回のセミナーでは、この「潜在的なもの」(the virtual)に接近する二つの発表をお届けする。
それぞれ「機械」と「人間」に焦点を当て、一方は「見方」の批判から出発し、他方は「ヴィジョン」を手がかりとして議論を展開する。
いずれもマリリン・ストラザーンに深い影響を受けた発表を、コメンテータの宮崎広和氏(コーネル大)が論評する。
「民族誌機械」の要旨
人類学は長らく、文化を単一の自然の事実をさまざまな角度から眺める「モノの見方」(パースペクティヴ)として扱ってきた。
そこでは、人々が慣習的に作り上げた文化的な見方と、それとは独立して存在する所与としての自然の二項対立が、対象を捉える基本的な枠組みとされてきた。
だが、近年の科学技術論の発展は、自然の最たるものである科学的事実が、観察や実験といった人間の働きかけへの反応をとおして現れるパフォーマティヴな性格を持つことを明らかにしてきた。
この知見は、上記の二項対立をゆるがすものであるため、人類学にも重大な影響を与えている。
本発表では、マリリン・ストラザーンの民族誌と科学技術についてのパフォーマティヴな見方の関係を検討しながら、人々の「モノの見方」を表象すること以外の人類学の可能性を考える。
「人間の(非)構築とヴィジョン」の要旨
現代の人類学において、「人間」は問題含みの言葉である。
この語の超然とした響きは動物やモノとの親密で複雑な関係をみえにくくする一方で、自律や主体といった命題を当然のように引き受ける。
人間の特権的な存在の様式を再検討するために、人(パー)(格(ソン))や行為(エージ)主体(ェント)といった概念が登場せざるを得ない。
しかしながら実際の人類学者の調査地では、神や自然や動物との間に厳然とした区分を設けたり、これらに自分たちを対置させて意志の力で神に近い地位を確保しようとしたりする例がしばしば認められる。
まさしく人間が存在している。
本発表はこうした人間の構築を可能にする「ヴィジョン」に関する分析である。
日時:2011年3月5日(土曜日)13時半~18時
場所:一橋大学東本館2階・大教室
http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html