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フィールドで発見する不思議さを原動力に。既存の問題意識や方法に縛られず、具体的なものの手触りを大事にしながら自由に問い続けることが人類学の魅力です。

なぜ専門に人類学を選んだのですか?

私が初めて人類学に触れたのは、一橋大学の学部生だった頃に何となく人類学のゼミを履修したときでした。そこでは、(人類学が研究の対象にするような)見慣れない儀礼や慣行だけでなく、極めて身近な事柄(お笑い、音楽、漫画、ファッション…)までもが人類学の理論や思想・哲学系の議論と同列に議論されていました。それだけでなく、そうした個々の細かな事例がもつ小さな不思議さから理論が批判的に捉えられ、そこから面白い議論が引き出されていきました。その自由さとスリリングさのようなものに惹かれ、人類学を専門に修士課程へ進学することを決めました。

現在どんなテーマで研究をしていますか?

テーマ:ギリシャの地震学・地球物理学における地震予知研究についての研究
キーワード:予知/予測、(未来の)不確実性、自然(科学)、科学/占い
地震学や地球物理学の一部、あるいはその周辺にある地震の予知研究は、その成否やそもそもの実現可能性について常に議論が繰り広げられている領域です。そこに注目することで、自然科学において自然現象のもつ不確実性はどのようにイメージされ、取り扱われているのか、それが地震のような自然現象に対する人々の考え方や振る舞いとどう関わり合っているのかについて研究しています。同時に、従来「占い」と呼ばれてきたような営みと科学的な予測/予知との多面的な比較を試みてもいます。
それらを通じて、人間が未来の不確実さに対して如何に向き合い、対処するのかということについて考えたいというのが私の大きな関心です。

現在の研究テーマに行き着いたきっかけは?/修士ではどんな研究をしていましたか?

修士課程では、人類学における占いや託宣に関する議論を批判的に検討することで、そうした人類学的な議論と科学的知識のあり方との関係についての研究をしていました。そのなかで(今から考えれば、2011年の東北地方太平洋沖地震の影響もあったかもしれません)、あるときふと地震学やその周辺にある地震の予知研究に目が行きました。するとそこでは、「そもそも地震は予知できるのか」「科学的な予知とは何か」といったことがしばしば問題にされていました。
また、地震に関しては、例えば日本では鯰絵に代表されるようなイメージや、「地震の直前には動物が妙な行動をする」といったいわばローカルな予知が広く見られます。そしてこれらは地震予知研究者が自らを差別化する対象でありながら、完全に否定しきれるものでもないように映り、興味深く感じました。
 これらに気付いた時、地震という現象や地震学の周辺には自然現象の振る舞いがもつ不確実さをめぐる人々の多様なあり方が凝縮されていると思い、博士課程以降の研究テーマに設定しました。

一橋社会人類学研究室の特徴は何ですか?

一橋人類学研究室の特徴は、フィールドで出会う生々しい事柄と通常「理論」と呼ばれたり「抽象的」と言われたりするような議論との間の往復運動を重要視するところではないでしょうか。もちろん具体性は多くの人類学の基礎を成す部分ですが、それがもつ不思議さや分からなさのようなものから我々の手持ちの理論や前提を如何に問い直せるか、そこを特に大事にしていると思います。

私のイチオシ人類学文献とその理由

Thomas Malaby, 2003, Gambling life: dealing in contingency in a Greek city. University of Illinois Press.
「不確実性」をテーマに据え、ギリシャのクレタ島を舞台に街のカフェで行われる様々なギャンブルを描いた民族誌。生活の中に現れる不確実性を人々がどう捉え、それにどう関わっているのかについて、街角で行われる多様なギャンブルとそこに参与する人々の振る舞いや考え方という角度からアプローチしています。繰り広げられるギャンブルの描写も面白い。

M. レーナルト、1994(1947)『ド・カモ:メラネシア世界の人格と神話』坂井信三訳、セリカ書房。
メラネシア、ニューカレドニアについての民族誌。人格の概念や神話、時間の観念など、多様なテーマに触れている著作ですが、具体的な事例が理論を問い直すというが表現がよく実感できる一冊です。簡単な説明を拒むような肌触りが刺激的な一冊。

研究キーワード

予知/予測、(未来の)不確実性、自然(科学)、科学/占い